邪気を祓う魔除け!?古くから神聖な食べ物とされた「小豆」はいかにしてスイーツとなったか?【後編】

歴史 好き太郎

江戸時代以降の「和菓子」の展開

【前編】では、小豆やあんこが、昔は日本でどのように扱われていたのかについて、和菓子の歴史を踏まえながら説明しました。

邪気を祓う魔除け!?古くから神聖な食べ物とされた「小豆」はいかにしてスイーツとなったか?【前編】

神聖な食べ物である「小豆」寒い季節のスイーツといえば、あんこあるいは小豆を使ったものが定番ですね。今回は、このような小豆やあんこの歴史をたどってみましょう。※合わせて読みたい:[inser…

【後編】では、甘い和菓子が日本で発展していった経緯や、現代の粒あん・こしあんの違いなどについて見ていきましょう。

弥生時代から鎌倉時代までは、小豆はスイーツではなくあくまでも豆料理の材料として使われていたと考えられます。高価な輸入品である砂糖で贅沢に味をつけて食べられるようになったのは、室町時代からでした。

よって、砂糖入りのあんこは貴族しか食べられないものだったのです。宮中や寺院では、その権威をアピールするために砂糖が使われていたほどです。

甘い和菓子が庶民の口にも入るようになったのは、貿易によって砂糖の輸入量が増えた江戸時代以降。この時期から、あんこを使ったまんじゅうが作られるようになりました。

また、徳川吉宗の統治時代には国産の砂糖が多く作られるようになり、和菓子の種類も増えていきます。

さらにお菓子屋も、上層階級を相手とする高級感のある「御用菓子屋」と、庶民相手に団子やまんじゅうを販売する「餅菓子屋」に分かれていきました。

高級感のある上品な和菓子は、御用菓子屋が多かった京都で進化したものです。一方、江戸ではそこまで和菓子は進化しませんでしたが、そのかわり甘味をうまく使った料理が多く生まれました。

つまり、この時期既に、関東・関西でスイーツ文化の違いがあったということです。

2ページ目 粒あん・こしあん

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了