旧幕府軍と新政府軍の戦力差は?
言わずと知れた鳥羽伏見の戦いは、幕末期の新政府軍と旧幕府軍の戦闘の天王山です。
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鳥羽伏見の戦いで旧幕府側を賊軍にした「錦の御旗(にしきのみはた)」旧幕府軍と新政府軍による戦いの戊辰戦争。その初戦となったのが1868(慶長4)年の鳥羽伏見の戦いですが、この戦いで新政府側が「錦の…
ところで皆さんは、この鳥羽伏見の戦いについてどのようなイメージを持っているでしょうか?
多くの人は、おそらくこのような図式で思い描いているのではないでしょうか。
「西欧式の最新兵器を装備した新政府軍VS時代遅れの装備の、旧態依然とした旧幕府軍」。
今回は、このイメージがどれくらい正確なのかを検証していきましょう。
鳥羽伏見の戦いは、1868年1月3日に発生しました。舞台となったのは、御所の南にある鳥羽街道のあたり。旧幕府軍はおよそ1万5千人規模だったのに対し、新政府軍は6千人と、倍以上の戦力差がありました。
この戦力差にもかかわらず、ご存じの通り結果は新政府軍の勝利に終わりました。この勝因については、当時から新政府軍の装備がきちんとしていたからだという説があったようです。
なにせ、幕臣までもが「敵は武装がよく、よい銃と砲兵を持っていた」と分析しているのです。
しかしこれは、勝敗の原因の分析としては正確ではありません。なぜなら、鳥羽伏見の戦いにおいては旧幕府軍も最新鋭の装備を備えていたからです。