2024年の大河ドラマ『光る君へ』では、藤原氏の全盛期を作った藤原道長(ふじわらのみちなが)が登場しています。藤原道長は絶対的な権力を持った、というイメージを持っている方が多いと思いますが、彼が活躍する少し前には、藤原氏による他氏排斥事件がいくつか起きていました。
そこで、今回の記事では、そんな他氏排斥事件の一つであり、その後藤原氏が政治の実権を握るきっかけとなった「安和の変(あんなのへん)」についてその経緯や影響について詳しく解説していきたいと思います。
「安和の変」は、藤原氏(藤原北家)による他氏排斥事件の一つであり、最後のものとされています。村上天皇の皇子が冷泉天皇として即位していた時代に起きました。
「安和の変」が起きた背景は?
冷泉天皇の即位にあたり、関白の座に就任することになった人物が、藤原実頼(ふじわらのさねより)でした。
しかしここで問題が。それは、冷泉天皇と藤原実頼が外戚関係(母方の親類関係)になかったことでした。
冷泉天皇は病気がち(精神的な病気もあったのではないかと言われています)であり、子どももいなかったため、即位してすぐに皇太子を決めることになりました。候補は2人。為平親王(ためひらしんのう)と守平親王(もりひらしんのう)で、いずれも冷泉天皇の弟でした。
周囲の人々は兄の為平親王が選ばれると思っていましたが、実際に選ばれたのは弟の守平親王でした。これは、左大臣・源高明が為平親王の妃の父だったため、彼が将来外戚となることを藤原実頼が恐れ、為平親王が選ばれるのを阻止したためです。