時は平安、皇室の外戚として権勢を極めた藤原道長(ふじわらのみちなが)。
この世をば 我がよとぞ思ふ 望月の
欠けたることも なしと思えば【意訳】この世界は私のものだと思っている。あの満月に欠けたところがないように、私もまた完全無欠なのだから……。
こんな歌を詠んでしまう恐れ知らずだった道長。その性格は、子供のころからだったとか。
今回はそんな道長の豪爽なエピソードを紹介。兄弟たちとは、一味違ったようでした。
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影どころか顔までも……道長少年の大言壮語
藤原朝臣道長。兼家第五子。性豪爽負気。兼家常歆美従姪公任為人。激励諸子曰。兒輩寧得踏公任影戴。兄道隆道兼慚報不敢対。道長独抗言曰。固不欲踏影。恐終踏其面。……
※菊池容斎『前賢故実』巻第六 藤原道長
道長は藤原兼家の五男として生まれました。豪爽(豪胆かつ爽やか)で負けん気の強い性格だったと言います。
ある時、父の兼家が息子たちの前で、こんなことを話しました。
「あぁ、お前たちは公任(きんとう)に遠く及ばぬ。きっと影を踏むことさえ出来まいな」
公任とは藤原公任。兼家の政敵であった藤原頼忠の息子で、優れた才能を誇ったといいます。
これは父なりに発奮をうながすアプローチだったようですが、兄の藤原道隆や藤原道兼は言葉もなく黙り込んでしまいました。
やれやれ、これでは先が思いやられる……兼家が頭を抱えたその時です。
「元から影など踏もうとは思いませぬ。私なら、公任の顔面を踏みつけてやります!」
(影をば踏まで、面をやは踏まぬ)
たとえ公任がどれほど優れていようとも、同じ人ならば競って勝てないはずはない。
道長の自信にどれほど根拠があったかはともかく、果たして公任を凌駕する権勢を勝ち取り、この世を我が世とせしめたのでした。