衆道(男色)は武士の心得。古来そのように伝えられてきました。
男性同士の愛情は、本能的な欲求や生殖という実利面を求める男女の性愛と異なり、純粋なものとされたのでしょう。
また心身を交えることにより、生死を共に戦い抜く覚悟を固める意味もあったと考えられます。
しかし、戦国乱世も遠く過ぎ去り泰平の世が訪れると、その本義を忘れて好色に耽る手合も増えてきたとか。
武士にとって、衆道とは単なる性欲のはけ口ではありません。そう警鐘を鳴らす者もいたようです。
そこで今回は、江戸時代に生まれた武士道教範『葉隠(葉隠聞書)』が伝える衆道の覚悟について、紹介したいと思います。
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心得なくして危ふきなり……中野式部かく語りき
衆道について、中野式部清明(『葉隠』口述者・山本常朝の祖父)が語ったそうです。
曰く「若気の至りで、一生の恥となることがある。衆道について、心得なく踏み込むのは危険である。言い聞かせる者がおらぬゆえ、それがしが衆道の大意についてお伝えしよう」と。
「女性について『貞女二夫に見(まみ)えず』と言うように、衆道についても二人の伴侶を迎えるべきではない」
「真の愛情は一生涯でただ一人に捧げるべきだ。その覚悟がない相手を愛してはならない」
「さもなくば野郎陰間(男娼)に同じくへらはり女(娼婦)に等しい存在に成り下がってしまう。これは武士にとって恥である」
「井原西鶴が『念友なき前髪は、縁夫を持たぬ女に等しい』と書いたのは、実に名文と言えよう。よい相手がおらぬ者を、人はなぶりたがるものだ」
念友とは衆道の伴侶を指し、前髪とは元服前の少年を指します。
「念友は五年ほど交友関係を持ってみて、確かな志を見届けたならば、こちらから頼むべきだ」
「決して、浮ついた者に心とらわれるべきではない。そういう手合いは少し都合が悪くなれば、簡単に裏切るからである」