令和6年(2024年)NHK大河ドラマ「光る君へ」。皆さんも楽しみにしていますか?
今回の舞台は、今からおよそ千年ほど昔の平安時代。主人公・まひろ(紫式部)が飛び込んでいく王朝世界では、様々な貴族たちが活躍していました。
現代と同じように優秀な者がいれば、そうでもない者もおり、それぞれ悲喜こもごものドラマが演じられていたことでしょう。
今回はそんな一人・藤原顕光(ふじわらの あきみつ)を紹介。その無能ぶりを笑われながら、20年以上にわたって政治の中枢に居座り続けたのです。
散々に罵倒された藤原顕光の失態ぶり
公卿 藤原 顕光(ふじわらのあきみつ)
宮川 一朗太(みやかわ・いちろうた)道長の一回り年長の公卿(くぎょう)。儀式での失敗など、その無能ぶりはしばしば嘲笑されていた。しかし、競争相手である公卿たちが早く亡くなったことで、政治の中枢に残る。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイト(登場人物)より
紹介文にある通り、貴族の中でも上級クラスの公卿にとって、つつがなく儀式を執り行うことは至上課題でした。
だから間違いのないよう、貴族たちは儀式の様子を記録し、その前例を踏襲できる努めたのです。
儀式における失敗は評判を大きく落とし、その後の人事査定にも影響を及ぼしたことでしょう。
藤原顕光の失態について、例えば藤原道長はこう罵倒しています。
「至愚之又至愚也」
※藤原実資『小右記』長和5年(1016年)1月27日条
【意訳】(顕光め、ここ一番でやらかしおって、)大バカのまた大バカだ!
子供じみた繰り返し表現に、怒りのほどが伝わってくるようです。
また、道長のおじである藤原実資は、顕光をこのように評しました。
「左相国、五品より始めて丞相に至るまで、万人嘲弄、已に休慰なし」
※藤原実資『小右記』寛仁元年11月18日条
【意訳】左相国(左大臣。顕光)の無能ぶりについて、下は五位から上は丞相に至るまで、嘲り笑わぬ者はいなかった。笑い疲れて休む暇がないほどである。
うーん、実に散々な評価ぶり。普通これほどの無能者であれば、たちまち更迭されてしまいそうなものです。
しかし彼は政治の中枢に残り続けました。なぜなのでしょうか。