2023年の大河ドラマ『どうする家康』の影響もあり、改めて江戸時代や徳川幕府に興味を持ったという方も多いのではないでしょうか?
非常に長い間つづいた幕府ですから、様々な将軍がおり、彼らを取り巻く人間関係もまた色々なものがありました。
今回の記事では、徳川幕府13代将軍の徳川家定の母である「本寿院(ほんじゅいん)」について、彼女の人生に迫ってみたいと思います。
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本寿院は幸運の持ち主!?
本寿院は、文化4年(1807年)に500石の旗本・跡部惣左衛門正寧(あとべそうざえもんまさやす)の娘として江戸で生まれました(諸説あります)。本名は「美津(みつ)」と言います。
転機は、文政5年(1822年)に訪れます。大奥に出仕するために姉の浜尾のもとへ泊まっていたとき、偶然、第12代将軍・徳川家慶の御中臈候補のお目見え(面接・コンテスト)に遭遇したのです。
そのとき、候補者が一人欠席してしまったので、急遽、美津が参加することになったのです。そこで、徳川家慶に見初められ、側室となります。まさに幸運の持ち主と言えるのではないでしょうか?