さて、これまで日本で最初に蟹缶詰に成功した碓氷勝三郎のストーリーを見てきました。
銘酒「北の勝」酒蔵の創業者!日本で初めてカニ缶の製造に成功した男・碓氷勝三郎の生涯【その1】
銘酒「北の勝」酒蔵の創業者!日本で初めてカニ缶の製造に成功した男・碓氷勝三郎の生涯【その2】
このように勝三郎は、まさに酷寒の地・北海道で大成功を収めたわけですが、勝三郎の根室での成功要因は、日清戦争や海外の需要の拡大等もありましたが、常に倹約を旨とし、粘り強く新規事業の研究を行った姿勢にあります。
それは、海老や蟹の缶詰に取り組んだ際、黒変腐敗の原因究明にあたって、みずから漁夫となり、職工となり、大金を注ぎ、寝食を忘れて試験を重ねた結果の賜物でした。
缶詰を製造している碓氷合名会社(小日向忠造 編『やまと錦』国立国会図書館デジタルライブラリー)
また、蟹、海老、ついに蟹と、次々と缶詰にすることに成功し、それでも満足せず、海扇(ほたて)や浅蜊(あさり)までにも着手し、新しいことに果敢にチャレンジしていったことが成功への導きでした。
遡ること1900(明治33)年以降、勝三郎は根室内に複数の牧場を開き、牛馬の改良・繁殖も行っています。さらに、1908(明治41)年には、資本金5万円で、北千島の鮭・鱒・鱈の漁業者や開発に当たる漁業者に、物資の供給や資本金の貸し付けを目的として千島興業株式会社を設立するなど、根室の地方産業の振興に努め、また町会議員の職なども歴任したのでした。
1916(大正5)年3月20日、「根室の殿様」とまでいわしめた碓氷勝三郎は、63歳でその生涯を閉じました。
参考
- 『与板町史』通史編 下巻(1999 与板町)
- 『与板町史』資料編 下巻(1993 与板町)
- 橘文七 編『北海道史人名辞典』(1957 北海道文化資料保存協会.)
- 北海道総務部行政資料室編『開拓の群像』下(1969)
- 「<北方領土遺産を訪ねて>3 缶詰工場 島支えた主要産業に 国後島中心に50カ所 日清戦争機に需要拡大」『北海道新聞』2016年10月31日付
- 小日向忠造 編『やまと錦』(1916 )