古来「腹が減っては戦ができぬ」とはよく言ったもの。人間、あまりに腹が減っていると、平素からは考えられないトンチキをしでかす事も間々あります。皆さんも経験がありませんか?
腹が減った苦しさは、戦国時代の武将や雑兵たちも同じでした。特に戦場では野外炊飯をする事が多く、雨が降ってしまうと温かいご飯はお預けとなってしまいます。
兵糧丸や芋茎(ずいき)縄など、携行食糧がなくもありませんが、それすら尽きてしまうこともあったでしょう。
目の前にあるのは生米ばかり。そんな時、あなたならどうしますか?
「我らが神の君」こと徳川家康は、こうしたそうです。
生米は、よくよく水にひたすべし
……十五日の申刻より大雨降出し。車軸を流すことくなれば。飯を炊く事ならず。御本陣より御使番馳まはり諸陣に觸しめられしは。かゝる時は飢にせまり生米を食ふものなり。されば腹中を損ずべし。米をよくよく水にひたし置。戌の刻に至り食すべしと仰諭されしかば。いづれも尊意のいたらぬくまなく。ゆきとどかせらるゝを感じ奉れり。さるに不破の河水溢れ出て戦死の尸骸を押流し水の色血にそみしかば。浸せし米もみな朱色に変ぜしとぞ。(落穂集。)……
※『東照宮御実紀附録』巻十「家康感謝黒田長政」
時は慶長5年(1600年)9月15日。朝から昼過ぎまで繰り広げられた合戦が終わりました。後世に言うところの「関ヶ原の戦い」というヤツです。
やった、勝った。よかったよかった……すると午後4:00ごろ(申の刻)から大雨が降り出しました。これでは、ご飯を炊くことができません。
言うまでもなく、多くの将兵は朝から飲まず食わずで戦っていたので、腹ペコです。
戦闘中は極度の緊張によって感じなかったのに、戦さが終わると安心感から一気に腹が減るのは人間の習性というもの。
「あぁ、腹が減った!」
こうなると、目の前にあるモノなら何でも口に入れたくなってしまいます。
ちょうど目の前には生米がある。ちょっと硬くても、食って食えないことはありません。
後で腹を壊すでしょうが、今はただとにかくひたすら腹を満たしたい。そんな衝動に駆られた者は少なくなかったはずです。
しかし、みんながみんな腹を壊してしまっては、いざ有事に対応できません。
何せここは戦場。つい先ほど逃げ隠れした残党の襲撃がないとも限らないのです。