1862年(文久二年)、長崎で日本初の営業写真館が開かれました。この写真館は評判を呼び、維新の志士たちが肖像写真を撮らせるために訪れました。薩摩藩主・島津斉彬も西洋の技術に興味を持ち、積極的に取り入れようとしていました。
その中でも特に、写真術に興味を持ち、配下の上野俊之丞に写真術の習得を命じました。その結果、俊之丞は藩主の肖像写真撮影に見事に成功したのでした。後に、彼の息子・上野彦馬が開いた上野撮影局が、先述の日本初の写真館です。
彦馬はオランダの海軍医・ポンぺから化学と写真術を学んだのも、父親・俊之丞の影響だったと想像できます。彦馬は、写真館にやってくる客の肖像写真だけでは飽き足らず、1877(明治十)年に西南戦争がおきると、その様子を撮影しようと現地に赴いたのです。いまでいう“従軍カメラマン”のはしりです。
現地では、西南戦争の激しい様子を撮影し、なかでも、砲火の瓜痕も生々しい田原坂を写した一枚は、彦馬の名を不朽ならしめています。