時は平安末期、源平合戦華やかなりしころ。平家討伐に武功を立てて一番乗りで上洛を果たしながら、身を滅ぼしてしまった悲劇の英雄・木曾義仲(きそよしなか)。
しかしその末裔は義仲の誇りと精神を受け継ぎ、戦国乱世にも活躍したと言います。
今回は木曾義仲の末裔を称した戦国武将・山下一族について紹介。彼らは「海道一の弓取り」と名高い徳川家康に奉公したのでした。
山下一族のルーツ
山下
今の呈譜に、木曾義仲の後胤小市丸義綱信濃国奥郡山下郷に住せしより、称号とす。又五郎綱勝はその男なりといふ。これによれば為義流たるべしといへども、今しばらく舊きにしたがひ、支流に収む。
※『寛政重脩諸家譜』巻第三百八十八 清和源氏(支流)山下
山下一族は木曾義仲の後胤・小市丸こと源義綱にルーツを持つと言われます。義綱が信濃国奥郡山下郷に住んだことから、山下の苗字を名乗りました。
記録はその山下義綱の子である山下綱勝からはじまります。