古代寺院のなかには、今でいう銀行のような役割を果たしていた機関もあったようです。
平安時代初期・奈良薬師寺の僧景戒によって書かれた『日本霊異記』に、そのような機関があったようなことを示唆させる興味深いお話が載っています。
同書中二四に、「閻羅王の使の鬼、召さるる人の賂を得て免す縁」というお話がありまして、それによると聖武天皇の時代(724~749)のこと、京の大安寺の近くに楢磐嶋(ならいわしま)という男がいました。
男は大安寺から銭三十貫を借りて、越前の敦賀へ行き、北陸の名産などもろもろの品を買い入れたといいます。
当時、大安寺には修多羅衆(すたらしゅう)という経典の研究組織があり、この組織を運営するために、集められた寄付金を元金として、利息をつけて貸し出していたようです。
これを、「銭貨出挙」といいます。
和銅開珍が鋳造されるようになってから30年後頃のことの話です。当時の寺院では、運営資金を作るために、割とこういったやり方を採用していたようで、
「寺の金を借りて商いの資金とし、利息を奉納すれば、それが九十九となって閻魔様に召されない」
ともいわれていたようです。