【関ヶ原の合戦】隆慶一郎『影武者徳川家康』に登場した門奈助左衛門は実在した!【どうする家康 外伝】

突然ですが、皆さんは隆慶一郎の歴史小説『影武者徳川家康』をご存知ですか?

筆者は中学生時代、ジャンプで連載していた原哲夫の漫画で知って夢中になりました。もしまだ読んだことがないなら、ぜひオススメです!

さて、主人公の世良田二郎三郎元信(暗殺されてしまった家康の影武者として、徳川政権を切り盛りしていく)と共に行動していた門奈助左衛門(もんな すけざゑもん)。小説版には登場しないのですが、果たして彼は実在していたのでしょうか。

江戸時代の系図集『寛政重脩諸家譜』を調べてみたら、彼の名前が見つかりました。その名も門奈宗勝(むねかつ)。今回は彼の生涯をたどってみたいと思います。

漫画とイメージ違う?関ヶ原時点で46歳だった助左衛門

門奈宗勝は弘治元年(1555年)、今川義元・今川氏真父子に歴仕した門奈直宗の次男として誕生しました。門奈氏は藤原氏の支流をくむ波多野義通の子孫と伝えられます。

【門奈氏略系図】

……藤原秀郷……波多野義通(三郎)……門奈昌通(玄允)―門奈直友(五郎大夫、藤太郎秀直)―門奈直宗(太郎兵衛)―門奈宗勝(助左衛門)―門奈宗家(半兵衛)―門奈宗次(三郎右衛門)=門奈正之(三十郎)―門奈正庸(まさつね。喜六郎)=門奈正治(萬助)―門奈正要(まさよし。助之進)=門奈正春(助四郎)=門奈正安(銕右衛門)=門奈正晴(新五郎)……

※『寛政重脩諸家譜』巻九百三十 藤原氏(支流)門奈

通称は助左衛門、元服してはじめは門奈重里と名乗りますが、後に門奈宗勝と改名。どういう事情があったのでしょうか。

父の門奈直宗は永禄11年(1568年)に氏真が滅亡すると、家康に仕官して遠江豊田郡岡村・駒馬村に采地を賜わりました。

兄の門奈直友も同じく家康に仕えましたが、こちらは元亀3年(1572年)12月22日の三方ヶ原合戦で討死してしまいます。

やがて父の直宗も天正12年(1584年)5月18日に亡くなったため、宗勝は甥(直友の子)に当たる門奈直勝(当時22歳。永禄6・1563年生)を補佐しました。

若いころの活動についてあまり詳しいことは判りませんが、慶長5年(1600年)に勃発した関ヶ原の合戦では家康につきしたがって従軍し、後に大番の組頭に抜擢されます。親衛隊の上級幹部といった位置づけです。

【参考:大番の組織略図】

番頭1名―組頭4名―番士50名―与力10名―同心20名

※江戸期のもの

2ページ目 門奈助左衛門のプライベート、家紋について

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了