北は上杉景勝(うえすぎ かげかつ)、東は北条氏政(ほうじょう うじまさ)、そして西は徳川家康(とくがわ いえやす)。強豪たちの狭間でもみくちゃにされながら、信州上田の孤塁を守り続けた真田昌幸(さなだ まさゆき)。
かつて「信玄の小脇指(懐刀)」と呼ばれた稀代の謀将で、生涯において二度までも徳川の大軍を翻弄するのでした。
そんな昌幸の息子と言えば、家康に仕えて家名を存続させた長男の真田信幸(のぶゆき。信之)と、家康に最期の決戦を挑んだ真田信繁(のぶしげ。幸村)が有名です。
しかし昌幸には、彼らの他にも7人の子供たちがいました。今回はあまり歴史ファンに顧みられる事のない真田昌幸の息子・娘たちを紹介したいと思います。
5人の娘たちをどこへ嫁がせる?
まずは真田昌幸の子供たちをすべて並べてみましょう。
長男・真田信之
次男・真田幸村(信繁)
<※嫡子はこの2人だけ。後は庶子>長女・小山田壱岐茂誠の妻
次女・保科肥後守正光の室
三女・瀧川三九郎一積が妻
四女・真田長兵衛幸政が妻
三男・真田昌親
四男・真田信勝
五女・妻木彦右衛門重直が妻
※『寛政重脩諸家譜』巻第654真田(滋野氏)
小山田茂誠(おやまだ しげまさ)は武田旧臣の甲斐国衆。
保科正光(ほしな まさみつ)は武田旧臣の信濃国衆。
瀧川一積(たきがわ かずあつ)は織田旧臣・瀧川一益(かずます)の孫。
真田幸政(さなだ ゆきまさ)は昌幸の甥(弟・真田信尹の子)。
妻木重直(つまき しげなお)は美濃国衆で徳川家臣。
本拠地の信濃を中心として、手広く婚姻関係を固めていったのが分かりますね。
さて、それでは三男の真田昌親(まさちか)と四男の真田信勝(のぶかつ)について、それぞれ見ていきましょう。