「正座」は近代以降
正座は、私たち日本人にとってとても馴染みの深い座り方です。しかし、この正座という座り方は意外と歴史が浅く、一般的なものになったのは近代以降でした。
本稿では、そんな正座の歴史をたどってみましょう。
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昔の日本ではきちんとした座り方ではなかった「正座」が丁寧な作法に取り入れられた理由
日本人の座り方の歴史をたどっていくと、「正座」という言葉や概念がきちんと確立されたのは明治時代以降だったことが分かります。それよりも前になると、正座は「かしこまる」や「つくばう」などという名前で呼ばれていました。
また、正座をしなければいけないというシーンもごく限られており、神道や仏教で神や仏を拝むときや、目上の人に対してひれ伏すときなど、尊者に対する敬意を表す姿勢として使われるのが主だったのです。
では一般の人々は日常生活でどのような座り方をしていたかというと、武士や女性、それに茶人でも胡座や立膝が普通だったのです。
実際、平安時代の装束などを見ると正座には不向きな大きさや形で作られており、胡座を前提にしていたことが分かります。
では、なぜ正座が日本人の正式な座り方として定着したのでしょうか?
徳川家光と「畳」
日本人の間で正座が一般的なものとなった理由としては、江戸時代の二つの出来事が挙げられます。
ひとつは、江戸幕府が小笠原流礼法を採用し、参勤交代で集められた大名たちが全員将軍に向かって正座すると決めたことです。これにより、正座が武士の作法として全国に広まりました。
一説によると、これは単なる儀礼として定めたのではなく、徳川家光が突然斬りかかられることを防ぐために考案したともいわれています。
参勤交代という政策は、大名が幕府に歯向かうことを防ぐために多額の支出を余儀なくさせ、力を削ぐという側面がありました。これとあわせて、正座をさせることで暗殺の危険を未然に防ぎ、家光は念入りに幕府の体制維持をはかったと言えるでしょう。
さて正座が普及したもう一つの理由は、この時代に畳が庶民にも普及し始めたことです。畳の上では胡座よりも正座のほうが体勢が安定しやすく、また畳を傷めないようにするためにも、正座の方が適切だったのです。