虎の門事件と桜田門事件
戦前の日本では、天皇は政治的な意味での国家の統治者でした。
しかし、その立場ゆえに、天皇も暗殺の危険にさらされていました。ここでは、昭和天皇が遭遇した二つの暗殺事件について紹介します(本来、昭和天皇という呼び名は死後につけられるものですが、ここでは分かりやすく昭和天皇と表記します)。
一つ目は、虎ノ門事件です。これは、1923年に皇太子だった昭和天皇が無政府主義者の難波大助から狙撃された事件です。
幸いにも銃弾は命中せず、昭和天皇は無事でしたが、同乗していた侍従長が負傷しました。難波は現場で逮捕され、翌年に処刑されました。
この事件の背景には、関東大震災後の社会不安や政府の労働運動弾圧に対する社会主義者達の反発がありました。
犯人の難波は社会主義や無政府主義に傾倒し、皇太子の暗殺を目論んでいました。この事件は、政府や警察の人事や体制に大きな影響を与えています。
二つ目は、桜田門事件です。これは、1932年に昭和天皇が観兵式から還御する途中に、韓国の独立運動家である李奉昌という人物から手榴弾を投げつけられた事件です。
しかし、李奉昌は馬車を間違えて宮内大臣の乗ったものに攻撃し、昭和天皇に被害はありませんでした。李奉昌は現場で逮捕され、処刑されました。