昔も悩まされた!江戸時代の書物に”熱中症”への対処方法はどのように書かれていたのか?

雲川ゆず

本格的な夏を迎え、各地では真夏日や猛暑日となる日が続いています。屋外にいても屋内にいても気を付けなければならないのが「熱中症」ではないでしょうか。

昔に比べて地球温暖化が進み、平均気温も高くなっていると言われていますが、日本の夏が暑く、また多湿であったことは昔から変わらないようです。

そこで今回の記事では、江戸時代に発行された書物に、熱中症に関するどのような記述があったのかご紹介していきたいと思います。

江戸時代にも暑さに耐えなければならない仕事がたくさんあった

暑さが厳しい職業としてまず考えられるのが農作業でしょう。江戸時代の農民たちの夏は、高温多湿、また炎天下での作業でした。また、日本各地の産物の採取や生産の様子を図解した『日本山海名物図会(にほんさんかいめいぶつずえ)』には、銅山床屋の作業(現在の銅精錬所の作業に近いです)や、鉄たたらの作業、また瓦屋の作業(瓦を窯で焼く)などの高温の状況での仕事が載っています。

なお、『日本山海名物図会』には、暑さ対策として衣蓮(ころもむし:断熱衣として使用)や防熱面のようなものの使用も示されています。

江戸時代の古文書にある熱中症への対処法

徳川家斉の治世下であった寛政元年(1789年)、多紀元徳の『広恵済急方(こうけいさいきゅうほう)』という書物が出版されました。これは、当時の救急医療の方法が書かれた医学書です。このなかに「中暑(いわゆる熱中症)」の症状と対処法が書かれています。

対処法は、「急日陰の内へ臥しめ途中道傍の熱土塊を堀り取くだき病人のむか又臓の上に積みをき最中に富を作りて中に他人をして多く小便をさせて熱気を透しむ可し」というもの。急いで日陰のところで横にさせる、などは今でも重要な対処法のひとつとされていますよね。

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