毒舌家だった名宰相
皆さんは、昭和の総理大臣で最も偉大だった人を挙げるとしたら、誰を選ぶでしょうか。私はやはり、吉田茂がまず一番最初に思い浮かびます。
説明するまでもなく、吉田茂は第二次世界大戦後の世界で、アメリカから占領されていた日本を独立復帰へと導いた名宰相です。
日本復帰後の政治家としての姿はやや見るに堪えない部分もありますし、日米安保条約のもたらした功罪もありますが、当時の世界情勢の中でまんまと日本を独立復帰させた手腕は素晴らしいものでした。
さてそんな吉田茂ですが、実は歴代宰相の中で最もジョークが得意で毒舌家、そしてウイットに富んでいたと言われています。
例えば、占領軍が食糧放出を要請した際、彼は「450万トンの食糧輸入がないと、餓死者が出る」と農林省の統計に基づいて陳情しました。
ところが実際は70万トンでも何とかやっていけたため、統計の数字がデタラメだったことにマッカーサーが激怒します。
しかしそんなマッカーサーに対して、吉田はケロッとして「わが国の統計が完備していたならば、あんな無謀な戦争はやらなかったでしょう」と答えたといいます。マッカーサーは笑って、それ以上責めませんでした。
マッカーサーと吉田は、占領下の日本の処遇について激しくやり合いましたが、奥底ではお互いに尊敬し合う間柄だったとされています。