江戸時代の指名手配は「人相書」で!手配写真の始まりなど知られざる被疑者捜索の歴史

雲川ゆず

現在でも、凶悪事件の被疑者が逃走している場合などに交番や公共施設、駅といった場所にその名前や顔が公表される「指名手配」。なかには懸賞金がかかっているものもありますよね。

そこで今回の記事では、そんな被疑者の捜索や指名手配の歴史について迫ってみたいと思います。調べてみると、とある皮肉なことも起きていました。

江戸時代は「人相書」で探し出す!

江戸時代において、容疑者の捜索には、「人相書(にんそうがき)」というものが使われていました。

今の指名手配書には氏名や写真のほかに、時間が経っている事件の場合などは「老け顔」の予想まで掲載されていることもありますよね。しかし、写真のなかった江戸時代、人相書には容姿や話し方の特徴などが書かれていました。

たとえば、2019年に兵庫県丹波市氷上町御油の円通寺で発見された人相書には……

一、年齢は二十四歳。ただし年齢より老けて見える。

一、身長は高く、中肉。丸顔で、鼻筋が通っている。色黒のほう。

一、眉毛は薄いほう。

と書かれています。(神戸新聞サイトより引用)

見つけたらお代官様へ…江戸時代の指名手配書「人相書」がお寺の襖から発見される

年齢は24歳、ただし老けて見える。身長は高くて中肉、丸顔で鼻筋が通っており、眉は細くて色黒なほう……(意訳)これは兵庫県の円通寺(丹波市氷上町)で発見された江戸時代の人相書(にんそうがき)。…

3ページ目 司法制度を整えた江藤新平の逮捕のきっかけは……

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