パーフェクトな息子
松平信康(竹千代)
[細田佳央太]幼名・竹千代。苦労を重ねた両親の姿を幼いころから見ており、父を支え、家族を守り、徳川家のために強く生きようとする、心優しき勇敢な青年。そのまっすぐな気持ちが、危うさでもある。妻は信長の娘・五徳。
※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイト(登場人物)より
永禄2年(1559年)3月6日に誕生した竹千代。第19回放送「お手付きしてどうする!」時点(天正元・1573年)では15歳に成長しています。
続く第20回放送「岡崎クーデター」ではどんな活躍をするのでしょうか。
第20回 岡崎クーデター
信玄(阿部寛)亡きあとも武田軍の強さは変わらず、勝頼(眞栄田郷敦)は徳川領に攻めこんだ。総大将の信康(細田佳央太)は数正(松重豊)らと応戦するが、苦戦を強いられ、瀬名(有村架純)や亀(當真あみ)も、負傷兵の手当てに走り回る。病で浜松から動けない家康(松本潤)は、忠勝(山田祐貴)らを援軍として送る。そんな慌ただしい状況の裏で、岡崎城ではある陰謀が仕組まれていた…。
※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイト(次回予告)より
元服したとはいえ、まだまだ幼い信康。なかなか苦戦しているようですね。果たして実際はどうだったのか、今回は江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御実紀)』を読んで比較してみたいと思います。
信康、初陣で武田軍に大勝利!
……此弥生頃信康君御甲冑はじめ有て。松平次郎右衛門重吉これをきせ奉る。さて御初陣の御出馬あるべしとて。田嶺のうち武節の城を責給ふに。城兵旗色をみるよりも落うせ。足助の城兵も迯うせしかば。御初陣に二の城をおとし入給ひ目出たしとて御帰城あり。……
※『東照宮御實紀』元亀三年-天正二年「信康初陣」
時は天正元年(1573年)3月、信康がはじめて鎧兜を身に着ける甲冑始(かっちゅうはじめ)の儀が行われ、宿老の松平重吉(まつだいら しげよし。次郎右衛門)が具足親(具足を着せる役目)を務めました。
「(家康、信康の)二代続けて若君に鎧兜をお着けできるとは、身に余る光栄にございまする」
「爺よ、これからもよろしく頼むぞ」
さて、武士の子が鎧を着たら次は初陣を飾ります。信康が兵を率いて武田方の武節城(ぶせつじょう)・足助城(あすけじょう)を攻めると、城兵たちは泡を食って逃げ出していきます。
「若殿が、御初陣で二つも城を抜かれたぞ!」
「これは末頼もしゅうございますな!」
無事に凱旋を果たした信康。これを迎えた酒井忠次(演:大森南朋)と平岩親吉(演:岡部大)は奮い立ったことでしょう。