鬼柴田 甕割り柴田 知恵柴田
みんな一人の 柴田勝家……拙。
織田信長(おだ のぶなが)の覇業を支え、その死後も織田家に忠義を貫いた猛将・柴田勝家(しばた かついえ)。NHK大河ドラマ「どうする家康」では、吉原光夫が好演しています。
さて、柴田勝家と言えば猪突猛進タイプの荒武者をイメージする方が多いでしょう。信長の死後、羽柴秀吉(はしば ひでよし)との駆け引きに後れをとり、滅ぼされてしまったこともその一因です。
しかし勝家には意外な一面もあったようで、つけられたあだ名にそれを垣間見ることができます。果たしてどんなあだ名だったのでしょうか。
鬼柴田(おにしばた)
これはイメージ通りですね。時は天文21年(1552年)8月16日、信長が尾張守護代の清洲織田家と争った萱津の合戦において、勝家が敵兵30騎を討ち取った武勲に基づくと言われています。
まさに鬼神のごとき活躍ぶりは、敵にとっては恐ろしく、味方にとっては頼もしかったことでしょう。
また、似たようなあだ名に「かかれ柴田」も伝わります。これは勝家が「かかれ!」と号令をかけると将兵が奮い立ち、多くの敵を突破したことに由来するとか。
あるいは、敵以上に勝家の方が恐ろしかったのかも知れませんね。