「一世一代の大戦を楽しめ」
武田信玄(演:阿部寛)が浜松に迫り来る中、そう言って徳川家康(演:松本潤)への援軍を値切って?いた織田信長(演:岡田准一)。
当時は足利義昭(演:古田新太)の画策した「信長包囲網」に直面、四方を敵に囲まれていたため、3,000を派兵するのでも精一杯だったのでしょう。
しかしそんな信長が、家康の身を案じる場面が『徳川実紀(東照宮御実紀)』にありました。
果たして信長は家康にどんな言葉をかけたのでしょうか。そして家康は何と答えたのでしょうか……?
浜松は棄てぬ!援軍も要らぬ?
……同年夏秋の頃武田の大兵三遠の辺境を侵掠するにより。信長使を浜松に進らせ。速く浜松を去て岡崎へ退かせたまへといふ。 君時宜にしたがはんと御答有て。後に侍臣に仰られしは。此浜松を引ほどならば我弓矢を踏折て。武夫の道をやめんものをとて笑わせられしとぞ。其後老臣等。こたびは大事の戦なれば尾張へ御加勢を乞れんといふ。君我いかに微運に成たりとも。人の力をかりて軍せんは本意にあらずとて聞せ給はず。老臣かさねて。信長よりは度々援助をこはるゝに。こなたよりは是まで一度もこはせられず。隣国相助べきはもとよりの事なれば。こたび仰遣はされしとてわが國の恥辱といふにもあらずと強ちに勧め奉り。味方が原の役に至りやうやく尾張より援兵を進らせしなり。……
※『東照宮御実紀附録』巻二「家康求救于信長」
時は元亀3年(1572年)の夏から秋にかけて、武田の大軍が三河・遠江の国境を侵略し始めました。
それを知った信長は、浜松にいる家康へ急使を派遣します。