困った時に現れる京の豪商
茶屋四郎次郎 ちゃやしろうじろう
[中村勘九郎 なかむらかんくろう]
ちっぽけな三河の田舎大名・徳川家康に財を預け、出世を見込んで大博打を打った商魂たくましい陽気な男。数々のピンチを救い、家康のサクセスストーリーと共に国づくりを支え、日本一の豪商へとのしあがる。※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより。
劇中ではもともと三河の武士として徳川家康(演:松本潤)に仕えていたものの、あまりにも素質がなかったため「商いでもしたらどうか」と勧められて転職。
これが大当たりして、京都でも屈指の豪商となったという設定でしたね。
確かに元は武士として家康に仕え、後に商人となったのは確かですが、それは武士としての素質がなかったからでしょうか。
実は茶屋四郎次郎は武士としても活躍していたようで、今回はNHK大河ドラマ「どうする家康」では見られないであろう意外な一面を紹介したいと思います。
本多忠勝と並び立つ?三方ヶ原・伊賀越えで大活躍
……四郎次郎清延は岡崎城主徳川家康に仕え、常に近侍して戦場に出ること五十三回、三方ヶ原の戦に殊功を立て、家康自ら橘をとって之を授け、「橘はこれ瑞祥なり、宜敷以て汝の家紋とすべし」と称され、以後これを用いたといわれる。其の後、前記百足屋町に住み、本能寺の変に際しては、本多忠勝と計を図って、伊賀路を経て家康を無事岡崎に帰還せしめ、家康の寵愛を受け、徳川家呉服所・御用達商人となった。……
※足立政男「近世における京都室町商人の系譜(1)」
茶屋四郎次郎は元の名を中島清延(なかじま きよのぶ)と言いました。父の中島明延(あきのぶ)は信濃守護の小笠原長時(おがさわら ながとき)に仕えていたものの、負傷により引退。
京都で呉服商を始めたところ、やがて第13代室町将軍・足利義輝(あしかが よしてる)が遊びにきて茶を飲むようになったことから「茶屋」の屋号を授かります(あるいはいつしか誰ともなく呼ぶようになったのでしょうか)。
そんな名誉ある茶屋の屋号を受け継いだ清延は、四男である父の次男(明延は四男、清延は次男)であることから、茶屋四郎次郎と名乗るようになりました。
大河ドラマの「武士をやめて商人に転業した」という設定は父親もそうだったのですね(ただしその理由は、素質がないからではなく、奮戦の結果傷を負ったから)。