意外とめんどくさかった江戸時代の「家督相続」実は相続にはきちんと手続きがあった

湯本泰隆

武士に定年制度はありませんでした。そのため、働こうと思えば、何歳になっても働くことができました。

例えば、御家人で文人でもあった太田南畝が残した『半日閑話』には、91歳にして旗奉行をつとめた奥田土佐守という人物の名を記しています。

とはいえ、嫡男がいて、50歳を過ぎた頃になると、そろそろ跡継ぎに任せて引退したらどうかと、周囲からほのめかされていたようでした。ただ、好き勝手に隠居できたわけではなく、嫡男がいる場合、次のような手順を踏んでリタイアをする必要がありました。

御目見以上の武士の場合、まずは上司に隠居を願い出て、許可をもらいます。許可が下りれば、お役御免。次に、そのお役を嫡男に継がせるために、家督相続願を提出します。

この決済が下りたのち、隠居する本人の名代と相続人は登城して、老中から隠居と相続の申し渡しを受けることになります。

平和な時代の武士にとって、「人生最大の大仕事」といえるのが、この家督相続。家督を継いだその日から、簡易や俸禄、家格・職格を維持し、いかに次の当主に受け継がせるかを考えなければなりません。

相続の形には、上記のように父親が生存中の相続をする「隠居相続」の他、亡くなってから行われると「死後相続」(跡目相続)がありましたが、いずれの場合も、幕府に家督の相続を願い出る必要がありました。

手続き上、父から子に職を譲るのではなく、あくまでも将軍から家督を与えられるという意味合いになります。

幕府の決裁が下りれば、相続の儀が江戸城中にて行わます。相続が認められるのは、あらかじめ幕府に届け出ていた嫡子に限られていました。

3ページ目 子宝に恵まれなかった場合は養子に相続

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