「やぶさかではない」の「やぶさか」って何? 実は、平安時代からある古い言い回しなんです

湯本泰隆

何かに誘われたとき、やや躊躇気味に「やぶさかではないですが」と答えている人をときどき見かけます。この「やぶさか」ってそもそも何でしょうか。あるとよくないものなのでしょうか。言葉の起源も含めて、調べてみました。

そもそも「やぶさかでない」とは、「喜んで〇〇する」「〇〇する努力を惜しまない」というニュアンスの意味。躊躇気味に使うのは正しい使い方ではないようです。

「やぶさか」は、「吝か」と書き、物惜しみするさま、ケチなこと、思い切りの悪いことをいいます。「けちな人」のことを、「吝嗇家(りんしょくか)」といいますが、この「吝」の字ですね。

その否定語なので、物惜しみしない、積極的な様子が感じ取れます。

「やぶさか」は、平安時代の言葉「やふさがる(物惜しみする)」「やふさし(けちである)」に由来しているようです。「やふさ」という言葉に、接尾語の「か」がついて「やふさか」になり、やがて「やぶさか」になったと考えられています。

平安時代に成立した『源氏物語』には、主人公である光源氏が、

「今や、老いは来て、この鬢も白くなりにける身となりにければ、あながちの寵もほろびたるに、思ひはやぶさかにて、めでたきものを、とむらへばあるべきかな。」
(「今や、老いがやってきて、この髪も白くなってしまった身となってしまった。そうなると、昔のような愛情も薄れてしまった。だからこそ、思い切って素晴らしいものを求めるべきだと思う。」)

と、年老いて髪も白くなってしまったことに嘆き悲しんでいる様子が描かれています。

これらのことから考えると、「やぶさかでない」とは「けちるつもりはない」「惜しむ気はない」という気持ちを表した言葉であり、本来、積極的な行動を起こすための強い意思を示した言葉のようです。

現在では、いやいやながら承諾したような場面で、使われることもあるようですが、後々「あのとき、そういったのに!」といわれないようにも、できそうにないことには使わない方がよさそうです。

参考

雑学おどろき学会『「恥かき日本語」おもしろ雑学』(2010 新講社ワイド新書

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