お田鶴の方だけじゃない!”おんな城主” として戦国乱世を生きた6人の女性たち

拾丸

『どうする家康』11話「信玄との密約」において、引間城主を務めたおんな城主・お田鶴の方が討ち死にしました。

「どうする家康」甲斐の虎、ついに始動!そして女城主の壮絶な最期…第11回放送「信玄との密約」振り返り

「今川領……駿河と遠江。駿河からは我らが、遠江からは、そなたが互いに切り取り次第で、いかがか……ようござるな」そう串団子を突きつけた武田信玄(演:阿部寛)に対し、辛うじて一口だけかじった徳川家…

あまりにも凛々しく、悲しい最後は『どうする家康』を代表する名シーンになったのではないかと思います。実は戦国時代では、お田鶴の方の他におんな城主として戦国乱世を生きた女性がいました。

今回は、おんな城主として活躍した女性たちを一挙にご紹介します。

井伊家を守った井伊直虎

井伊直虎は井伊谷城主・井伊直盛の娘として生まれます。直盛には男子がおらず、弘治元年(1555)に従妹の井伊直親を養子に迎えました。

しかし、永禄3年(1560)の桶狭間の戦いでの直盛の戦死を機に、井伊家家臣・小野政次によって直親は謀殺、さらには井伊家を支えた家臣たちが相次いで亡くなる事態に見舞われました。

この事態を受けて、永禄8年(1565)に次郎法師の名で出家していた直虎は還俗。井伊家の女当主となり、井伊谷城の城主にもなりました。

そして、直虎は専横をしいていた政次の討伐を目標に掲げます。一度は政次に井伊谷城を奪われますが、反対勢力と徳川家康の協力もあり、元亀元年(1570)に処刑に追い込みました。

無事に井伊谷城を取り戻したのも束の間、元亀3年(1572)に武田家の侵攻により、井伊谷城は武田家家臣・山県昌景に明け渡します。

その後は浜松城にいる家康に従軍し、武田軍と戦いました。その間も養子の井伊直政のことを気にかけ、15歳になる天正3年(1575)の時に、家康の小姓として出仕させています。

そして、天正10年(1582)に直虎は病死しました。

7ページ目 城の者を守るために武田に下ったおつやの方

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了