「黄金の国」からの金銀流出
日本はかつて各地域に金山・銀山が存在し、「黄金の国ジパング」などと言われましたが、現在、国内に「黄金」すなわち金はほとんどありません。その理由は、江戸時代に金・銀ともに海外へ流出してしまったからです。
ご存じの通り、江戸時代は鎖国体制が敷かれていたものの、海外貿易が完全に行われなかったわけではありません。その貿易の中で使われたのが銀貨です。
銀貨が使われていたのは、交易のあった中国が銀本位制を採用していたこと、貿易が行われていたのが主に西日本で、こちらでは銀の産出が多かったことが理由です。
銀貨は主として、国内での生産が少ない絹や生糸、砂糖や朝鮮人参の購入のために使われていました。よって、必然的に銀貨もどんどん国外へ出ていったとみられています。1648年からの20年で、なんと28万貫もの銀貨が流出したともいわれています。
さすがの幕府も危機感を抱き、1668年には貿易での銀の使用を禁止。かわりに使われたのが金貨でした。
レートの違いが仇に
しかし、海外へ流出するのが銀から金にかわっただけで、その後数十年間で90万両以上の金貨が海外へ出て行ったようです。
また、流出していったのは金銀だけではなく銅もです。銅は貨幣としてではなく、輸出品として加工されて海外へ渡っていったのです。
このように金・銀が大量に海外へ流出してしまったのは、当時の日本と外国での価値の違いも関係がありました。
この頃、外国では金1枚が銀15枚分の価値を持っていました。これに対して、日本では金1枚が銀5枚分の価値しかなかったのです。
海外の商人はこのレートの違いに目を付けました。日本で銀を使って取引すると、自国で交換した場合の三倍もの量の金を持ち帰ることができる状態だったのです。