信長と義昭、それぞれのチャンス
【前編】では、永禄の変の後、足利義昭が協力者を探して各地を転々とし、ついに織田信長にたどり着くまでの経緯を解説しました。
足利義昭、織田信長と出会う!やがて袂を分かつ二人の蜜月と野心【前編】
織田信長の偉大さ日本史で、応仁の乱から永禄の変までの流れを見ていくと、当時は権力争いによって人が死ぬことが当たり前の世の中だったことが分かります。[caption id="attachme…
義昭から要請を受けた信長は、上洛するために必要な資金援助などを行います。彼も、次期将軍を奉じて京に入って、幕府を再興させれば自分の名声はさらに高まるだろうと考えたのです。
ちなみに、織田信長で有名なキーワードに天下布武というのがあり、これは書状の朱印に使われたことで有名になった言葉ですが、長らくこれは「自分が天下を統一する」という意味にとられてきました。
が、最近は「天下」とは幕府や京を含む畿内地域を指しており、この頃の彼はあくまでも将軍による統治を目指していたのではないかと考えられています。
とにかくこうして、信長も義昭も千載一遇のチャンスを得て、1568年10月に義昭は信長に奉じられて念願の上洛を果たしました。この時点で足利義栄は病没していたので、義昭は15代将軍に就任します。
そして信長は三好勢を京から追っ払い、義昭には二条城を建てて居城を設けるなど破格の援助をします。当然、義昭も信長には深く感謝しました。