「桶狭間の戦い」はなぜ起きた?正確な場所はどこ?有名なのに実は不明点だらけ…【前編】

「桶狭間の戦い」おさらい

戦国時代の有名な戦いに、1560年5月19日に起きた桶狭間の戦いがあります。

この戦いは日本史上最大の逆転劇と呼ばれており、織田信長今川義元を討ち取った有名なものです。しかしその一方で、多くの謎が現代にいたるまで残されたままです。

本稿では、それらの謎を追ってみます。

まず桶狭間の戦いの経緯ですが、もともとは今川義元が5月12日に尾張へ侵攻したことがきっかけでした。

今川義元といえば海道一の弓取りと称えられたほどの武将で、政治力にも優れていたと言われています。その彼が西に軍勢を進めて、三河から尾張に向けて侵攻したのです。

この時の今川勢は数万に及びました。さすが、駿河・遠江・三河を支配していただけのことはある大軍勢です。これに対して侵攻を受けた織田信長の軍勢は数千ほどで、勝敗は明らかなように思われました。

最初は清州城で沈黙していた信長ですが、しかし彼は5月19日に出陣して、同日の午後には一気に今川義元を討ち取ります。これが桶狭間の戦いです。

では、この戦いにおける謎とは何でしょうか。

2ページ目 今川義元の目的も兵力もあいまい

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