二人の夫の死……。琉球の悲劇の王女、百度踏揚(ももとふみあがり)の運命に翻弄された人生【後編】

小山 桜子

Japaaan読者の皆さんこんにちは。ライターの小山桜子です。今回は前編に引き続き沖縄の尚氏による琉球王朝時代の悲劇のヒロインにフォーカス。

尚氏の娘として生まれたがために運命に翻弄された悲しい王女、百度踏揚(ももとふみあがり)の生涯をご紹介します。

前回の記事

夫が祖父を討伐。琉球の悲劇の王女、百度踏揚(ももとふみあがり)の運命に翻弄された人生【前編】

Japaaan読者の皆さんこんにちは。ライターの小山桜子です。今回は沖縄の尚氏による琉球王朝時代の悲劇のヒロインにフォーカス。尚氏の娘として生まれたがために運命に翻弄された悲しい王女、百度踏揚(ももと…

夫、阿麻和利の死

百度踏揚の夫・阿麻和利(あまわり)が彼女の祖父・護佐丸(ごさまる)を追討したのも束の間、今度は阿麻和利自身が王府に対し謀叛を企てており、首里を攻める準備を進めているという疑いがかけられました。

そして百度踏揚の従者・越来賢雄(ごえくけんゆう)率いる王府軍によって阿麻和利はあえなく討ち取られてしまったのです。

一説には百度踏揚自身が阿麻和利の謀反を父・泰久王へ知らせたという説もあります。そうだとすれば彼女は浅井家に嫁いだお市のような役割を担った事になり、また違った見方になりますが、どちらにせよ祖父の死と夫の死が重なり、百度踏揚にとっては波乱続きと言うべきでしょう。

 

二人目の夫の死と一族滅亡

その後、百度踏揚は越来間切の総地頭職に任じられ越来親方として越来城主となった越来賢雄の妻となりました。ようやく幸せを掴んだかに見えた百度踏揚。しかし、彼女の一族第一尚氏時代の崩壊はすぐそこにまで迫っていたのです。

1469年、尚円王擁立のクーデター発生。第一尚氏と近い越来賢雄も攻められ最期は知花城の中腹にある洞窟に追い込まれ、火攻めの末に殺されました。たった10年の間に百度踏揚は2人の夫を失ったのです。

第一尚氏滅亡後

夫である越来賢雄の死後、百度踏揚は父母を同じくする弟の三津葉多武喜(ミツバタブキ)のいた玉城富山の大川グスク(大川城)に身を寄せました。

残りの余生を現在の南城市仲栄真の屋敷で三津葉多武喜と共に過ごし、やがて若いながらに生涯を閉じたとされています。

墓所は、三津葉多武喜の末裔・仲栄眞腹門中墓の側にあり、悲劇の王女はその地で弟と共に今も安らかに眠っています。

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