皆さんは具合が悪くなった時、積極的に医師のアドバイスを受ける方ですか?あるいは自己流のノウハウで何とかしたい方ですか?
かの徳川家康(とくがわ いえやす)は大の医者嫌いとして有名で、一服盛られることを心配して、薬の調合まで自分でやっていたと言います。
しかし昔から「餅は餅屋」と言うように、何事につけプロフェッショナルが存在するのは、自己流では限界があるからです。
それでも頑として医者にだけはかかろうとしない家康。病状はどんどん悪化の一途をたどり、このままでは命を落としかねません。
何とか家康に治療を受けさせるよう説得を試みる家臣たち……今回はそんな一人、本多重次(ほんだ しげつぐ。作左衛門)のエピソードを紹介したいと思います。果たして彼は、どんな手を使ったのでしょうか。
鬼作左、捨て身の一手
「……御屋形様、どうしても治療を受けられませぬか?」
時は天正13年(1585年)3月、腫物をこじらせた家康の枕元で、作左衛門は詰め寄ります。
「無論じゃ。医者にかかるくらいなら、死んだ方がましじゃ!」
たいそう苦しみながら家康は答えました。もうずっとこんな押し問答が続いており、さすがは頑固で知られた三河者の総大将よと呆れるばかり。
「左様にございますか……ならば、仕方ありませんな」
え、説得を諦めちゃうの?その苛烈な性格と強面から「鬼作左(おにさくざ)」の二つ名で知られる作左衛門にしてはずいぶんアッサリした反応です。
「然らば御免!」
すっくと立ち上がるや踵を返し、スタスタと出て行ってしまった作左衛門。襖をピシャリと閉めて去っていきます。
「……ふん、別に引き留めて欲しかった訳じゃないわい。あぁ痛てて……」
ちょっと寂しかったのかどうだか、なおも苦しみ続けていると、足音がドカドカと迫ってきました。
「御免!」