NHK大河ドラマ「どうする家康」第1回放送「どうする桶狭間」でいきなり討死してしまった今川義元(演:野村萬斎)。
その首級を掲げながら悠然と疾駆する織田信長(演:岡田准一)は、程なくそれを放り投げる暴挙に。
いくら敵であっても、ここまで死者を辱める振る舞いはいかがなものか。実際、信長はこんなことをしたのでしょうか。
そこで今回は今川家臣・岡部元信(おかべ もとのぶ)のエピソードを紹介。大河ドラマでは語られなかった首級の行く末を見ていきましょう。
今川義「元」・武田「信」玄から愛された勇将
岡部元信は今川家臣・岡部親綱(ちかつな)の子として誕生します(生年は不詳)。
元服して最初は義元の元をもらって岡部元綱(もとつな)と改名。通称は五郎兵衛(ごろべゑ)、やがて丹波守の名乗り(私称)を許されました。また史料によって岡部長教(ながのり)という別名も。
天文17年(1548年)の小豆坂合戦や天文18年(1549年)の安祥城合戦など武勲を重ね、今川家の遠江・三河平定に活躍します。
そんな元綱ですが、ある時に義元の勘気をこうむって追放され、武田信玄(演:阿部寛)を頼って甲斐国へ逃げ込んだことがありました。
「おぉ、丹波か。よう参ったな。何があったかは知らぬが、当家でも存分に奉公せぇ」
「有難き仕合せにございまする」
武田家でも活躍したらしく、信玄(晴信)の名から信の字を拝領した元綱。ここで普通なら信綱、または信元などと改名するのですが……。
「畏れながら、改名は元信でようございましょうか。先に頂戴した元の字を大切にしとうございますゆえ」
身は甲斐にあっても今川へ忠義の心を忘れぬ元綱。信玄はこれを快く認めました。
「やはりそなたは今川家中に欠くべからざる者。わしからも口添えしてつかわすゆえ、じきに帰参も叶おうぞ」
「重ね重ね、有難き仕合せにございまする」
かくして元綱改め元信は、やがて義元の元へ帰参したのです。めでたしめでたし。