何らかの罪を犯してしまった人の社会復帰というのは、現代においても非常に重要なテーマではないでしょうか。職業訓練をはじめとしたさまざまなサポート体制については、実は江戸時代にその源流がありました。
そこで、今回の記事では、近代の刑務所につながる「人足寄場(にんそくよせば)」について詳しくご紹介したいと思います。
人足寄場とは?
正式名称を「加役方人足寄場(かやくかたにんそくよせば)」といい、略され「人足寄場」や「寄場」などと呼ばれました。
人足寄場は、無宿者(むしゅくしゃ:罪を犯したり、勘当されたりといった理由により、戸籍から外された人)や、引き取り人のいない刑余者を集めた自立支援施設です。
人足寄場は誰が、いつ、どこに作ったか?
人足寄場は、1790年に江戸幕府の老中・松平定信によって作られました。
その前年に、『鬼平犯科帳』で知られる火付盗賊改方長官・長谷川宣以(長谷川平蔵)が松平定信にこういった施設を作ることを提言しています。
場所は、江戸石川島でした。その後は、常陸(ひたち)上郷村や長崎・箱館などにも設置されました。最終的に、人足寄場は明治維新によって廃止されるまで続きました。