2023年の大河ドラマ『どうする家康』の主人公は、江戸幕府を作った徳川家康です。織田信長や豊臣秀吉らと並んで、恐らく日本史上で最も有名な人のひとりではないでしょうか。
そんな徳川家康ですが、好奇心旺盛で、熱心な勉強家であったことでも知られています。
徳川の太平の世を作り上げた江戸幕府初代将軍は、いったいどのような人々を尊敬していたのでしょうか?
『鎌倉殿の13人』とのつながりも!源頼朝を尊敬し、吾妻鏡も研究
2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』とのつながりも見えてきそうですが、徳川家康は鎌倉幕府の初代将軍である、源頼朝を尊敬していたと言われています。
初めての本格的な武家政権を樹立した源頼朝の経験から、政権運営の成功や失敗を学んでいたと考えられます。
また、徳川家康は鎌倉幕府の正史とされている『吾妻鏡』も愛読していたそうです。『吾妻鏡』は1605年(慶長10年)にはじめて印刷刊行されたものが発行されており、家康はその諸本を読んでいました。
さらに、武士向けの教訓の本とするために、古活字版(こかつじばん)や製版本を作るなどして、たくさんの人が詠めるように手を加えていったと言います。
戦の対戦相手・武田信玄も尊敬
徳川家康は、彼が戦で苦労した対戦相手である武田信玄も尊敬していました。家康がまだ若かったころ、三方ヶ原の戦いで武田信玄に完膚なきまでに敗北。そんな彼を憎んだり恨んだりするのではなく、武将として、また為政者として尊敬していたそうです。
たとえば、武田信玄が行った治水事業のひとつ「信玄堤」。これは、洪水や河川の氾濫を防ぎ、田に水を引くための堤防です。この「信玄堤」の要素を取り入れつつ、家康も治水事業を行っていきました。
また、武田勝頼がなくなったときも、その死を惜しんでいたと言われています。さらに、武田氏が滅亡したあとは、彼らの遺臣を召し抱えています。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです!