鎌倉時代には、上皇や貴族の他に僧侶と、多くの男性と肉体関係を結んだ女性がいました。
その人物は後深草院二条。後深草上皇の寵愛を受けた人物で、『とはずがたり』の作者でもあります。
今回は、4人の男性と肉体関係を結んだ後深草院二条の男性遍歴をご紹介します。
新枕で感じた、ときめきが忘れられなかった後深草上皇
二条は、正嘉2年(1258年)に源雅忠と大納言典侍との間に生まれます。特に、母の大納言典侍は後深草上皇に性行為の手ほどきを教えたこともあり、後深草上皇から気にかけられていました。
しかし、大納言典侍は二条を産んだ翌年に死去。大納言典侍のことを忘れられなかった後深草上皇は、二条を自身の御所に迎えました。
そして、二条が成人として見られる14歳になった文永9年(1272)頃、後深草上皇は二条を口説きます。二条にとって後深草上皇は、幼き頃から共に過ごした父親のような存在。急な求愛に驚いた二条は、拒否してしまいます。
やがて、心を決めた二条は数日後に後深草上皇と肉体関係を結びました。その情事で衣服が破けたとの記録が残っており、強引なセックスだったことがうかがえます。
エリート官僚の西園寺実兼も狙っていた?!
二条が後深草上皇の子を孕んだ後、今後は西園寺実兼が口説きにかかります。実兼は、太政大臣・西園寺公相の長男で、大覚寺統と持明院統による皇位継承問題で鎌倉幕府と交渉した人物。
実兼は二条が14歳になった頃に、愛をつづった手紙と豪華な衣装を送りました。そして、二条は実兼の愛に応えるように、後深草上皇の子を産んだ後に蜜月の関係になります。
後深草上皇は、この関係を知っていましたが、咎めることはありませんでした。その結果、実兼の子も妊娠しました。2人の子は西園寺瑛子とされています。