平成7年(1995年)より毎年、日本漢字能力検定協会が発表している「今年の漢字」。令和4年(2022年)の漢字は「戦」でした。
外国での恐ろしい戦争、生活における苦しい戦い、スポーツ分野における熱戦・挑戦……そんな理由から選ばれた「戦」とは、よくも悪くも人の心を揺り動かします。
しかし、そんな世の流れを尻目にマイペースを貫く者はいつの時代も変わらずいるもの。今回は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した歌人・藤原定家(ふじわらの さだいえ/ていか)を紹介。
彼が書いた日記『明月記(めいげつき)』をひもといてみましょう。
「紅旗征戎、わが事に非ず」
世上亂逆追討雖満耳不注之、紅旗征戎非吾事、陳勝呉廣起於大澤、稱公子扶蘇項燕而巳、稱最勝親王之命侚郡縣云々、或任国司之由、説々不可憑、右近少将維盛朝臣爲追討使可下向当国之由有其聞、
※『明月記』治承4年(1180年)9月条
※日付はなく、当月はこの記事のみ。
【意訳】世は謀叛人討伐の話題で持ち切りだが、戦争なんて私には関係ない。かつて中国大陸で陳勝と呉広が兵を挙げ、王を自称したように、以仁王も最勝王と名乗って各地の武士たちを国司に任じたという。とんでもない話である。それでこのたび、平維盛が追討使として現地へ派遣されるそうな……。
治承4年(1180年)と言えば、永年にわたる平家政権を打倒するべく以仁王(もちひとおう)が5月に挙兵。その令旨を受けた源頼朝(みなもとの よりとも)が8月、配流先の伊豆国で兵を挙げています。
さっそく相模国では頼朝の謀叛を討つべく、大庭景親(おおば かげちか)が軍勢を繰り出し、京都へも使者を発しました。
その使者が京都に到着し、頼朝追討のため平維盛(たいらの これもり。平清盛の孫)が軍勢を整えている……そんな中でこの日記です。