大河ドラマ『どうする家康』において歌舞伎役者の中村勘九郎さんが「茶屋四郎次郎」役で出演することが決定しました。
茶屋四郎次郎は京都の豪商(財力があり、広く事業を行う商人の意味)として知られていますが、皆さんの中には茶屋四郎次郎について、あまりよく知らない方もいるのではないでしょうか。
そこで今回は、3世代ごとにどんな活躍をみせたのか紹介しつつ、茶屋四郎次郎を解説していきます。
茶屋家の歴史
まず、茶屋四郎次郎の生家、茶屋家の成り立ちについて説明します。
茶屋家の始まりは、16世紀半ばに負傷で武士を辞めた中島明延が、京都にて呉服商を営んだことが始まりでした。
また、茶屋は屋号であり、明延の屋敷に作った茶屋に足利義輝がしばしばお茶を飲みに立ち寄ったことが由来となっています。
それ以後、中島ではなく茶屋を名乗り始めました。また、明延の子である茶屋清延以来の歴代当主は、習わしとして茶屋四郎次郎を襲名しています。
初代茶屋四郎次郎、茶屋清延
ここからは、家康を支えた3人の茶屋四郎次郎について紹介していきます。
まず最初は、初代茶屋四郎次郎の茶屋清延です。清延は先ほど紹介した明延の子で、明延が4男で清延が次男だったため、茶屋四郎次郎を通称としました。
清延は若い頃から家康に仕え、主に戦時の道具や武具の調達で活躍しました。また、本能寺の変で織田信長が死亡したことをいち早くキャッチ。堺に滞在していた家康にすぐさま報告した活躍も見せています。
本能寺の変後、家康が伊賀国(現在の三重県西部)を経由して三河国(現在の愛知県東半部)に戻る「伊賀越え」の際、清延は伊賀国を知っている者たちに、金銭で協力交渉を取り行うといった商人の特徴を活かした支援を行いました。
清延や家康家臣の服部半蔵や本多忠勝、井伊直政の尽力により、家康は無事に三河国に帰還。清延は、伊賀越えの功績で家康の御用商人となりました。
その後、親交を深めたことで、徳川家の呉服御用を一手に引き受けることになります。
ちなみに、中村勘九郎さんは茶屋清延役で『どうする家康』に出演されます。