1549年、イエズス会のフランシスコ・ザビエルより、日本に伝えられたキリスト教。キリシタン大名や織田信長が布教や保護をしたことで、武士のみならず庶民たちもキリスト教を信仰しました。
その中には日本で初めての女子修道会を設立した熱心なキリスト教徒もいました。その人物は内藤ジュリア。
今回は、キリスト教に一生を捧げた内藤ジュリアの軌跡を紹介します。
夫の死をきっかけにキリスト教へ
ジュリアは永禄9年(1566)に誕生しました。父は松永久秀の弟、松永長頼。兄には同じくキリシタンの内藤如安がいます。
ジュリアは若くして丹波国の男性と結婚しますが、天正15年(1587)に死別しています。
その後は仏門の道に入り、比丘尼として新たな人生を歩みました。阿弥陀信仰に熱心に取り組んでいたジュリアは、文禄6年(1595)に宣教師オルガンティノの導きでキリスト教に改宗。これを仲介したのは、兄の内藤如安と言われています。
キリシタンとして
キリシタンになった後は、熱心にキリスト教を布教しました。ジュリアの影響により、大名の夫人たちが、キリスト教に改宗しています。また、前田利家の4女・豪姫を改宗させたのもジュリアで、信仰心の厚さがうかがえます。