いつの時代にも、異性にモテてモテて仕方がない人はいるものです。今回紹介する事件の中心となった人物・猪熊教利(いのくまのりとし)も天下無双と称されたほどの美男子だったとか。
そんな彼が絡んだ事件とは、どんなものだったのでしょうか?
のちに江戸幕府による公家への規制を強めるきっかけにもなった事件「猪熊事件」について詳しくご紹介したいと思います。
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女ぐせが悪かった美男・猪熊教利
事件の中心となる人物、猪熊教利は、安土桃山時代から江戸時代の初めにかけて生きた公家です。権大納言、四辻公遠(よつつじきんとお)のもとに、天正11(1583)年に生まれました。
『源氏物語』の光源氏や『伊勢物語』の在原業平の再来と言われるような美男子だったそうです。後陽成天皇に仕え、芸事にも通じていたそうです。
また、戦国時代の末期から武家で流行した「かぶき者(派手な恰好をし、常識破りの行動をする)」の精神も持っており、猪熊の髪型や帯の結び方は「猪熊様(いのくまよう)」と呼ばれました。これは、京都の流行にもなったようです。
そんな猪熊ですが、女ぐせの悪さでも有名で、人妻や宮廷に仕える女官とも関係を持っていました。当時の資料には、「公家衆乱行随一」と称されてしまうほど。
天皇から勘当される
慶長12年(1607年)には、女官との密通がバレて後陽成天皇から勅勘(勘当)を被ります。猪熊は大坂へ逃げますが、いつの間にかまた京へ戻っていました。