幕末〜明治維新に生き、議会政治や英語の重要性を説いた政治思想家・赤松小三郎

雲川ゆず

江戸時代末期の幕末から明治維新にかけては、「英雄」と呼ばれるような人物がたくさん表舞台に登場しました。幕府側、倒幕側などさまざまな立場がありますが、信念を持っていた人が多いのではないでしょうか。

今回の記事では、「誰もが知っている有名人」ではないものの、「生きていたら日本を変えていたかもしれない」と言われた赤松小三郎についてご紹介していきたいと思います。

赤松小三郎とは?

赤松小三郎(あかまつこさぶろう)は、江戸時代の幕末期に活躍した兵学者・洋学者・政治思想家です。天保2年(1831年)に上田藩士の父の次男として生まれました。

江戸に遊学し、幕臣で数学者の内田弥太郎のもとで数学や蘭学、測量、天文などを、西洋兵学者の下曽根信敦のもとで蘭学や西洋砲術などを学びました。

安政2年(1855)には、勝海舟に師事。長崎海軍伝習所にも入所しました。その後、3冊のオランダ語の本の翻訳を行いました。

赤松家の養子に、英語の重要性にも気づく

万延元年(1860)、彼は上田に戻り、赤松家の養子となります。江戸勤務の際には、横浜の英国士官のもとで英語を習得していきます。

慶応元年(1865)には、日本の近代兵制の基礎を築いたといわれる『英国歩兵練法』を翻訳、刊行しました。

この本により、彼の名が有名になります。ちなみに、「気をつけ」「前へ進め」「止まれ」といった号令は小三郎がつくった言葉です。

2ページ目 議会政治を説く

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