平安時代の婚姻
かつて、日本には三日夜餅(みかよのもちい)という儀式が存在していました。平安時代の貴族社会で行われた、いわゆる「婿とり婚」の作法の一種です。
当時の結婚は、男性が女性のもとへ通う妻問婚という通い婚の形式でした。
婚姻が成立するまでは、女性は人目を避けるのがたしなみで、同世代の男性が適齢期の女性と直接知り合うのは稀だったようです。
そのため、貴族の子弟は意中の女性を見つけようと必死で、美しい女性がいるらしいという噂を耳にすると覗き見(垣間見)をしたりしていました。
こうした噂の出所は、女性の周囲からそれとなく、あるいは意識的に流されることが多かったようです。
こうして好みの女性を見つけた男性は、その女性に懸想文(けそうぶみ)といわれる恋文を贈ります。この手紙は、本人の手に渡る前に乳母や女房たちによって「審査」されました。
審査の対象となるのは、文章や和歌が巧みか、字は上手いか、身分や女性関係はどうか、出世の見込みはあるか、どんな性格か、などです。これらをクリアして初めて、手紙は女性へ渡されます。
また女性の方は、最初は女房が代筆した返事を送り、その後自筆の手紙を送ります。そして親の同意が得られたら女房が手引きをして、吉日の夜に男性が女性の部屋へ赴くことになります。