密教呪術を用いて怨霊となった政敵を祓う。密教僧の加持祈祷が活躍した平安時代

湯本泰隆

ときの権力者が密教呪術を用いて政敵を調伏させるという考え方は、平安時代半ばから見られる考え方で、そのため密教呪術が貴族層の保護のもとに盛行しました。

その要因の一つとして考えられるのが、様々な政略や謀略が日常化した当時の朝廷では、貴族たち様々な物の怪の存在に脅かされたことです。

かれらは政争の敗者の霊が怨みを持った怨霊となり、得体の知れない物の怪たちをひきいて報復として様々な祟りを起こすと信じていました。そんな物の怪たちに対抗できるのが、密教僧や陰陽師の駆使する呪術であると信じられていたのです。

菅原道真の怨霊は有名ですが、

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このときに浄蔵(じょうぞう)という高名な密教僧らが、道真の怨みをかった藤原時平に依頼されて様々な祈祷をしています。

それ以降、皇族、藤原氏の嫡流といった権力者たちは、病気や出産などの心配ごとがあるたびに、密教僧を集めて怨霊鎮めを行うようになりました。

そのうち、密教呪術の対象は、霊や物の怪たちではなく、生きている人間たちに対しても広げられました。権力者の中には、密教呪術をもちいて政敵を苦しめ、自分が優位にたとうと考えるものがあらわれたのです。

その一例として、隠子(おんし)のエピソードがあります。

3ページ目 老女に呪いをかけられた隠子(おんし)

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