源頼朝(みなもとの よりとも)亡き後、鎌倉殿の跡目を継いだ嫡男の源頼家(よりいえ)。
かつて頼朝の舅として権勢を振るっていた北条時政(ほうじょう ときまさ)は、頼家の乳父であり舅でもある比企能員(ひき よしかず)にお株を奪われつつありました。
このままでは立場が危い。そこで時政は頼家を排除して北条家で抱え込んでいる千幡(せんまん。後の源実朝)を擁立したいのですが、そのためにはどうしても能員が邪魔になります。
対する能員も時政の思惑は百も承知ですから、なかなか警戒を緩めてはくれません。果たして時政による能員の暗殺は成功するのでしょうか。
あんな老いぼれ爺ぃ一匹殺るのに……笑う遠景
時は建仁3年(1203年)9月2日、能員は病床の頼家に対して時政を討伐する許可を求めました。
「北条一族に権力奪取の野心があることは明らか。先だってはご嫡男の一幡(いちまん)様が家督を継げばいいものを、千幡君(ぎみ)と日ノ本を東西に分割しようなどという話を決めてしまいました。このまま北条の謀略を許せば、やがて一幡様のお立場が脅かされてしまうでしょう」
その時病床にあった頼家は同意して時政の討伐を許可。能員はさっそく軍備を整え始めます。
(何ということ。ただちに父上へ知らせねば!)
能員と頼家の密談を盗み聞いてしまったのは、尼御台(頼朝未亡人)の北条政子(まさこ)。さっそく時政の元へ使いを出して危険を知らせたのでした。
「……そうかい。籐四郎(能員)の野郎、ついに本性を現しやがったな」
時政は大江広元(おおえ ひろもと)の館へ向かい、この件について相談します。
「古来『やられる前にやっちまえ』とはよく言ったモンだ……で、大江の。どう思う」
広元に相談する形はとっていたものの、その実質は協力要請。要するに脅迫でした。
「……亡き大殿(頼朝)のころから御政道こそお助けして参りましたが、武にまつわることは管轄外。よくよくお考えの上で、鎌倉にとって最善の道をとられますように」
ここで時政に味方して、もし失敗すれば自分の命が危ない。と言って、比企に味方する義理もありません。どう答えようと、時政が逆上すれば殺されてしまうのですから、命懸けで中立を宣言したのは広元の矜持。
「よし、わかった」
少なくとも敵にさえ回らなければそれでいい。時政は広元の態度に納得して席を立つと、自分の館へ戻ります。
時政は荏柄天神の前まで来ると、同行していた仁田四郎忠常(にった しろうただつね)と天野藤内遠景(あまの とうないとおかげ。出家して蓮景入道)に命じました。