日本の政治家の「テロ・暗殺史」の戦後編となります。
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日本の政治家もテロ・暗殺の危険と隣り合わせ!?いま紐解く暗黒の近代史【戦前編】
日本における「政治家の暗殺」2022(令和4)年7月8日、自民党の安倍晋三元首相が白昼堂々、衆人環視の中で襲撃されて亡くなるという悲劇が発生しました。総理大臣としての在任期間の合計が憲政史…
安保闘争から「SP」の発足まで
1960(昭和35)年7月14日、当時の岸信介首相が、自民党の池田勇人新総裁就任祝賀会場から出てきたところを暴漢に襲われ、太ももを刺される重傷を負っています。
また同年の10月12日には、社会党の浅沼稲次郎委員長が日比谷公会堂で右翼の男によって刺殺されました。
その後、安保改定に伴ってデモ隊が首相官邸を取り巻いた際も、その中で岸信介首相は佐藤栄作とともに時が来るのを待ち、「死」を覚悟していたともいいます。まだまだ、政治家は「暗殺」の恐怖と背中合わせでした。
こうした日本の精神状況を大きく変えたのが、池田勇人首相と彼によって導かれた高度経済成長です。国全体が豊かになることで暴力による憎悪を減らし、さらに共産主義勢力の付け入る隙をなくす結果になったのでした。
ただ、その後ももちろん何もなかったわけではありません。
1963(昭和38)年7月15日には、当時の河野一郎建設相の自宅を右翼が焼き討ち。翌年には、ライシャワー駐日米国大使がナイフで襲撃され重傷を負う事件も起きました。
首相に対する襲撃も起きています。1950(昭和25)年6月16日、三木武夫首相が日本武道館で佐藤栄作元首相の国民葬に参列していたところ、顔を殴られ軽傷を負う事件が発生。要人を警護する警視庁SP(セキュリティーポリス)が発足したのはこの事件がきっかけでした。