この名前はキツすぎる!戦国時代にも結構多かった「キラキラ(?)ネーム」の数々

たけまる

「キラキラネーム」は現代特有の風潮?

近年、親が子供に難読な読み方の名前や当て字、または珍しい名前をつける例が増え「キラキラネーム」「ドキュンネーム」などとメディアを中心によく取り上げられています。

かくいう筆者も本名の漢字と読み方がかなり珍しく、小学校~大学卒業まで学校などで周囲から何かにつけからかわれた記憶があります。

それでも最近の子供達の名前と並べると「現代ではそこそこ普通の名前」という印象を持たれるようで、そこに「時代の変化」というものを感じることもしばしばです。

しかし、現代でいう「キラキラネーム」に該当するような名前は、どうも近年になって急増した現象というわけではなさそうです。

信長の長男は「奇妙丸」!秀吉の息子は「捨」に「拾」!

実は、誰もが知っている歴史上の人物たちも、自分の子供にかなり珍しい名前をつけていました。

たとえば織田信長は、長男(後の織田信忠)に「奇妙丸」という名前をつけました。

名前の由来はなんと「生まれた時の顔が奇妙だったから」なのだとか。そして九男(後の織田信貞)につけた名前は、その名もなんと「人」。

不器用すぎる親心?織田信長が子供たちにつけたユニークすぎる名前を一挙紹介!

戦国乱世の風雲児として時代を彩り、天下布武の覇業を推し進めた「第六天魔王」こと織田信長(おだ のぶなが)。[caption id="attachment_108981" align="alig…

また信長亡き後に天下人となった豊臣秀吉は、側室・淀の方の産んだ「鶴松」という名前でも知られる嫡男に「棄(すて)」、後に秀吉の後継者となる次男・豊臣秀頼に「拾(ひろい)」という名前をつけています。

現代の感覚では、多くの方が「えっ!?」と二度聞きしてしまうのではないでしょうか?

2ページ目 幼名が「キラキラ」「ドキュン」でもOKだったワケ

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