「父や祖父とは違い、余は生まれながらにして将軍である。心して奉公せよ」
江戸幕府の第3代将軍・徳川家光(とくがわ いえみつ)は、征夷大将軍の就任に際してこう言い放ったと言います。
まるで将軍になるべくしてなったような威風堂々ぶりですが、その幼少時(幼名:竹千代)は病弱で食も細く、弟の国松(後の徳川忠長)に家督を奪われかねないほどだったとか。
このままではいけない。竹千代の乳母であった春日局(かすがのつぼね)は、その食生活から改善することにしたのでした。
さて、どんな工夫をしたのでしょうか。
ただお命を繋ぐものの第一は飯なり……とにかく米を食べて欲しい
「またですか……」
竹千代の食事が終わり、下げられた食膳を見て春日局は嘆息します。おかずはいくらか食べられているものの、ご飯にはほとんど箸をつけていません。
「昔から『ただお命を繋ぐものの第一は飯なり(ご飯こそ生命力の源である)』と言います。おかずをいくら食べたところで、ご飯が進まなければお身体は弱いまま。何とかしなければ……」
思案した春日局は、老中の松平伊豆守信綱(まつだいら いずのかみのぶつな)に命じて「七彩(なないろ。七色)飯」を用意させました。
「おかずは沢山あるから選べますが、ご飯が一種類では体調によって食べられない日もあるでしょう。だからご飯も、食べやすいものから食べ応えのあるものまで七種類用意するのです」
さっそく次の日から導入された七彩飯。そのレパートリーがこちら。