紫式部の文才については論を俟ちませんが、古今東西、才能ある者はいらぬ嫉妬を買ってしまうのが世の習い。彼女も例外ではありませんでした。
今回は紫式部の書いた日記、その名も文字通り『紫式部日記』より、彼女の才能を僻んだ者によってつけられたあだ名を紹介したいと思います。
「まことに才(ざえ)あるべし」主上の絶賛を妬まれて……
今は昔、紫式部の同僚に左衛門の内侍(さいものないし)という女性がいたそうです。
彼女はどういう訳か紫式部のことを快からず思っていたらしく、知らない内に陰口を言いふらしていたのが聞こえてきました。
その一つが、何でも主上(うへ。天皇陛下)が『源氏物語』を読まれた折に
「この作者(※)は『日本書紀』を読んで、歴史にお詳しいようだ。本当に素晴らしい教養をお持ちでいらっしゃる」
(※)どうやら陛下は紫式部が『源氏物語』を書いたことをご存じではなかったようです
【原文】「この人は日本紀(にほんぎ)をこそ読みたるべけれ。まことに才(ざえ)あるべし」
と高くご評価あそばされたとか。そのことが気に入らなかったのでしょう。左衛門の内侍は殿上人(てんじょうびと。上級貴族)らにこんなことを言いふらしたとか。
「まぁご大層なインテリなんですって。これからはあの人のこと『日本紀の御局(にほんぎのみつぼね)』って呼んでやりましょ?」
まったく、しょうもないったら……紫式部は苦笑するばかり。こういう妬みがめんどくさいから、日ごろ実家で侍女たちの前ですら書物を読まないようにしているのに、どうして他人様の前で才能をひけらかしたりするものでしょうか。