「鎌倉殿の13人」ついに平家討伐の最終決戦!第18回放送「壇ノ浦に舞った男」予習【後編・壇ノ浦の合戦】

前編のあらすじ

屋島の合戦に勝利した源義経(演:菅田将暉)は平家一門を四国から追い出し、とうとう壇ノ浦まで追い詰めました。

平家一門の背後では源範頼(演:迫田孝也)の軍勢が中国・九州を制圧しており、もう逃げ場はありません。

挙兵からおよそ4年半、とうとう源平合戦はクライマックスを迎えるのでした。

前編の記事

「鎌倉殿の13人」ついに平家討伐の最終決戦!第18回放送「壇ノ浦に舞った男」予習【前編・屋島の合戦】

平治の乱(永暦元・1160年)から25年、頼朝挙兵(治承4・1180年)から5年……ついに来ました壇ノ浦。時は元暦2年(1185年)3月24日、驕れる平家も久しからず、ついに滅亡の時を迎えました。…

壇ノ浦の合戦・戦闘時刻と潮の流れ

昔から壇ノ浦の合戦は「午前中は平家の追い潮で平家有利だったところ、正午を過ぎて潮流が逆転して源氏が勝利した」と言われます。実際のところはどうだったのでしょうか。

大正時代の調査では8ノット(時速約14.8キロ)という数値が出たそうですが、その調査地点は最も幅の狭い早鞆瀬戸(はやとものせと。関門海峡)。ここで数百艘から数千艘の軍船(※)がひしめき合うのは現実的ではありません。

(※)『吾妻鏡』では平家500艘に対して源氏800艘、『平家物語』では平家1,000艘に対して源氏3,000艘と言われます。

海上保安庁などが潮流を調査した結果によると、合戦が行われた(現実的に両軍の船を収容できる)海域では1ノット(時速1.9キロ。歩いた方が早い速度)以下と流れも緩く、戦況に影響するほどではなかったとか。

また、『吾妻鏡』によれば合戦は午前中で終わったとされており、この場合は潮流が変わるまでもなく戦闘は終了。

対して『玉葉』では正午ごろから申の刻(16時ごろ)にかけて戦われたとされており、いずれにせよ潮流の変化による影響はなかったと言えそうです。

壇ノ浦の合戦・八艘跳びと平教経の最期

大河ドラマにはこれまで一切登場して来ませんでしたが、義経が「八艘跳び」を演じるには不可欠な平教経(たいらの のりつね)。その役に誰がキャスティングされるのか、楽しみですね!

教経は永暦元年(1160年)、平教盛(のりもり)の次男で、亡き平清盛(演:松平健)の甥に当たります。

『平家物語』では歴戦の勇士、王城一の強弓精兵として名を馳せ、義経のライバルとして立ちはだかりました。

一方で『吾妻鏡』だとあまり目立たず、元暦2年(1185年)2月7日の一ノ谷合戦で討死したことになっていますが、『玉葉』では生存の噂が流れていたことから、実は生き延びていたのでしょう。

壇ノ浦では敗北をさとった平家一門の者たちが次々と入水自殺しく中、なおも獅子奮迅の抵抗を示しますが、従兄の平知盛(とももり)から「もはや勝負が決した以上、無駄に罪作りなこと(殺生)をするな」と諭されました。

「それならせめて、総大将を道連れにしてくれるわ!」

と義経を目がけて挑みかかったところ、捕まったら敵わない義経は次から次へ、舟を八艘跳んで逃げます。

義経に逃げられてしまった教経は、ならば「我と思わん者は組討ちせよ。生け捕って鎌倉へ連れていけ」と周囲を挑発。すると土佐国(高知県)の住人・安芸太郎(あきの たろう)と安芸次郎(じろう)の兄弟、そして力自慢の郎党が3人がかりで襲ってきました。

「貴様ら、死出の旅路の供をせよ」

教経はまず郎党を海へ蹴落とすと、安芸太郎と次郎を両脇に抱え込んで海に飛び込み、そのまま沈んでいったということです。

2ページ目 壇ノ浦の合戦・平家一門の最期

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