第29代総理大臣を務めた犬養毅には、「話せばわかる」といった名言があります。
今回は、この名言の元となった暗殺事件や当時の日本の環境についてみていきましょう。
犬養毅と当時の日本
犬養毅は、新聞記者だった頃から40年以上「立憲政治」の理想を抱き、1931年に76歳という高齢で第29代総理大臣となった人物です。
立憲政治と言うのは、「憲法に則り、ルールを守って政治を行う」という考え方のことです。
しかし、犬養毅が総理大臣になってから日本の経済が悪化。軍中心の政治や戦争をして経済回復をしようといった声が大きくなってしまいます。
そのため犬養毅は、話し合いで成り立っていた立憲政治が破綻し、「武力中心の政治」になってしまうことを恐れていました。
五・一五事件
一向に戦争を始めようとしない犬養毅の政治に国民の不満は爆発。1932年5月15日、ついに事件が起きてしまいます。
複数の若い軍人がピストルを構えて、犬養毅の自宅に乗り込んできたのです。