愛娘を喪った悲しみ…平安貴族・藤原実資が「かぐや姫」と呼んで愛した藤原千古。その名の理由は?

古今東西、我が子を溺愛する親は絶えないもので、あふれんばかりの愛情が呼び名に表れることも少なくありません。

今回はそんな一人、平安時代に生きた藤原千古(ふじわらの ちふる)を紹介。父親の藤原実資(さねすけ)は彼女を「かぐや姫」と呼んだと言います。

……生まれたまへりける女君、かくや姫とぞ申しける……

※『大鏡』より

輝ける夜の姫君……『竹取物語』のヒロインとして有名な彼女。それほどの眩(まばゆ)さだったのかはともかく、実資が彼女をこよなく愛したことは間違いないでしょう。

かの悪名?高い「この世をば……」で知られる藤原道長(みちなが)の専横を批判するなどカタブツな印象の実資が、なぜここまで娘を溺愛したのでしょうか。

それには、実資の哀しい過去があったのです。

愛娘を喪った悲しみに、血の涙を流した実資

実資には、千古より前にも娘がいました。

しかしその女児は、正暦元年(990年)7月11日に亡くなってしまいます。生まれた年は不明ですが、その時点で7歳未満でした。

愛する我が子を喪った実資は悲嘆のあまり泣血(きゅうけつ)……つまり「血の涙」を流して泣いたと言います。

藤原実資の女児が死亡…遺体はどこへ!?なぜ平安貴族の幼児の葬儀は”薄葬”だったのか?【光る君へ】

我が子を喪う悲しみは、今も昔も変わりません。昔は衛生環境の劣悪さから、乳幼児の死亡率が高く、7歳まではいつ死んでもおかしくありませんでした。七五三はその名残り、子供が3・5・7歳まで無…

とは言え悲しんでばかりもいられません。翌7月12日になって、実資は陰陽道に詳しい藤原陳泰(のぶやす)に葬儀のアドバイスを求めました。

「手厚く葬りたい気持ちは解りますが、7つまでの子供はこの世のものではありませんから、生まれ直せるよう薄葬にして下さい」

……という訳で実資は、女児に穀織(こくおり。薄織物)の衣を着せ、手作布(たづくりぬの。手織りの簡素な布)の袋に入れて納棺。雑人たちに命じて7月13日、棺を山中に置いて来させました。

「これで良かったのだろうか……」

当時、子供(特に乳幼児)が死ぬなんてよくある話し。7つまでは神様の子ですから、ちょっとこっちへ来たのを召し返されただけのこと……そう思い込んではみても、やはり悲しいのが親心というもの。

「やっぱり嫌だ!誰か、娘を連れ戻して来るのじゃ!」

一晩中、ずっと悩み続けていたのでしょう。悲しみのあまり心神不覚となった実資は、雑人に命じて棺を回収するよう命じます。

しかし、現地に行ってみると遺体は既にありませんでした。恐らくは盗まれたのでしょう(鳥獣が食い荒らしたなら、血痕や残骸などからその事実を察するはずです)。

子供の遺体なんて盗んでどうするのか……布はもちろんのこと、臓器などは生薬の原料となるので売り飛ばしたものと考えられます。

こんな事なら手厚く葬ってやればよかった(あるいは回収になんて行かせなければよかった)……実資の後悔が目に浮かぶようです。

2ページ目 月に帰ったかぐや姫

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了